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  <title>闘病大全</title>
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  <description>著名人の闘病を通して、いろいろ病気について考えていきたいと思います。</description>
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    <title>津田恒実（1960～1993）</title>
    <description>
    <![CDATA[<div>　プロ野球選手。「炎のストッパー」と呼ばれファンを魅了した広島東洋カープの投手である。</div>
<div>　社会人から1981年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。1年目の1982年、先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝いた。その後、中指の血行障害により靭帯を摘出する手術を受け、1986年に抑え投手として復活。カムバック賞を獲得すると共に、チーム5度目のリーグ制覇に大きく貢献した。1989年には最優秀救援投手となった。</div>
<div>　しかし1990年12月から左足のだるさを訴え、翌1991年1月には頻繁に頭痛を訴えるようになった。4月になり開幕を迎え、14日に広島市民球場で行われた読売ジャイアンツ戦でリリーフとして8回に登板したが、制球が効かずたった9球でマウンドを降り敗戦投手となった。これが生涯最後の登板となった。<br />
　その翌日、近医でCTを撮影し、「脳に影がある」と言われ広島大学病院を紹介受診。4月17日に入院して精密検査を受けた結果、手術で触ることのできない右視床に脳腫瘍が認められた。4月25日、脳室腹腔シャントおよび生検手術を施行。術後四日目に頭蓋内血腫により再手術。生検の結果、悪性神経膠腫、Grade IVと判明した。6月24日、晃代夫人から本人に病名を告知した。放射線治療を行ったが効果が見られず、転院。11月6日、広島カープを退団。その後、一時は奇跡的な回復を見せ現役復帰も噂されたが、1992年秋頃を境に再び病状が悪化し、1993年7月20日、32歳で死去。</div>
<div>
<ul>
<li><a href="http://amzn.to/2urFTle" title="" target="_blank">『最後のストライク』津田晃代、幻冬社文庫、1998年</a></li>
<li><a href="http://amzn.to/2vqLtRU" title="" target="_blank">『もう一度、投げたかった』山登義明・大古滋久、幻冬舎文庫、1999年</a></li>
</ul>
</div>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
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    <pubDate>Mon, 09 Oct 2017 07:15:39 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>脳神経疾患</title>
    <description>
    <![CDATA[<h2>脳出血と闘った人々</h2>
<div><a href="北里柴三郎" title="" target="_self">北里柴三郎（1852～1931）</a></div>
<div><a href="ヨシフ・スターリン" title="" target="_self">ヨシフ・スターリン（1878～1953）<br />
<br />
</a></div>
<h2>脳腫瘍と闘った人々</h2>
<div><a href="津田恒実" title="" target="_self">津田恒実（1960-1993）<br />
<br />
</a>
<h2>てんかんと闘った人々</h2>
<a href="南方熊楠" title="" target="_self">南方熊楠（1867～1941）</a><br />
<br />
<br />
</div>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E8%84%B3%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%96%BE%E6%82%A3</link>
    <pubDate>Sun, 27 Aug 2017 09:28:52 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>泌尿器疾患</title>
    <description>
    <![CDATA[<h2>慢性腎不全と闘った人々</h2>
<div><a href="森鷗外" title="" target="_self">森鷗外（1862-1922）</a></div>
<div><a href="南方熊楠" title="" target="_self">南方熊楠（1867～1941）</a></div>
<div>遠藤周作（1923～1996）</div>
<div><a href="団鬼六" title="" target="_self">団鬼六（1931～2011）</a></div>
<br />

<h2>膀胱癌と闘った人々</h2>
<div>小林秀雄（1902～1983）</div>
<div>武満徹（1930～1996）</div>
<div>松田優作（1949～1989）</div>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
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    <pubDate>Sun, 27 Aug 2017 09:25:32 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>南方熊楠（1867～1941）</title>
    <description>
    <![CDATA[博物学者、生態学者、民俗学者。戦前の日本で、在野でありながら世界に通用した学者である。<br />
<br />
1880年、柔術で前歯を折り、20歳前後で上の前歯4本を金歯にしていたという。<br />
<br />
1885年4月27日より数日間にわたり頭痛あり。<br />
1886年1月17日にも数日間にわたり頭痛あり。<br />
同年10月23日、頭痛からてんかん発作となった。<br />
1889年4月27日、アメリカのアナーバーでてんかん発作を起こした。<br />
これらの症状について、大阪大学に保存されている熊楠の脳のMRIによる検討では、彼は<strong>側頭葉てんかん</strong>であったことが推測されている（<a href="http://dx.doi.org/10.1212/WNL.50.5.1373" title="" target="_blank">Murai T et al. Neurology 50;1373-1376:1998</a>）。日記によると、彼は何かに集中している時は発作が起こらないことに気づき、それを理由に常に様々な対象の研究に没頭したものらしい。<br />
<br />
1941年3月に親友で主治医の医師・喜多幅武三郎が死去した時には、既に<strong>萎縮腎</strong>と診断されていた。<br />
同年12月から病勢が急速に進行し、12月29日に死去。<br />
12月30日、大阪帝大助教授・森上修造により自宅で脳を解剖される。脳の重量は1425gであった。<br />
<br />

<ul>
<li><a href="http://amzn.to/2gg5CrF" title="" target="_blank">『南方熊楠大事典』松居竜五・田村義也編、勉誠出版、2012年</a></li>
</ul>
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0</link>
    <pubDate>Sun, 27 Aug 2017 09:23:53 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>吉行淳之介（1924～1994）</title>
    <description>
    <![CDATA[<div>　作家。岡山県出身。<br />
　東大英文科中退後、雑誌社に勤めながら作品を発表し、『原色の街』『谷間』『ある脱出』が芥川賞候補となった。<br />
　1953年、<strong>肺結核</strong>のため山野病院に入院。翌年、国立清瀬病院・島村喜久治医師の手で肺切除を受けたが、この時の輸血で当時未知のC型肝炎ウイルスに感染したと考えられる。<br />
　療養中に『驟雨』で第31回芥川賞を受賞。「第三の新人」と呼ばれた。『星と月は天の穴』が芸術選奨、『暗室』が谷崎潤一郎賞、『夕暮まで』が野間文芸賞を受賞。<br />
</div>
<div>
<div>　若い時から<strong>気管支喘息</strong>と<strong>アトピー性皮膚炎</strong>に罹患していた。1947年に、喘息の治療目的で京大病院で両側の頚動脈球を切除したが、この手術は後に効果がないことがわかっている。<br />
　戦時中、彼は一度出征したが、喘息のため数日で帰されており、「百閒の喘息」（『目玉』中に収載）という随筆に詳しく書かれている。若い頃の激しい発作の状態を彼はこのように表現している。</div>
<blockquote>
<div>「それは、突然やってくる。私の場合、強い睡気がまず最初にある。（中略）数時間重い眠りがつづくと、不意に呼吸困難の発作が起こってくる。</div>
<div>　こうなると、もう歩くこともできない。（中略）その間は、横になることもできず、上半身を布団の上に起こして、文字どおりうずくまっているしかない。」（「喘息との奇妙な対話」）</div>
</blockquote>
<div><br />
　女性にもてた彼は、喘息発作の最中にも女の子を口説き酒を飲んでいたという。発作が始まるとステロイドを点滴していたようで、点滴の直後は発作も治まり原稿も捗ったが、しばらくすると鬱になり怒りっぽくなったそうである。</div>
<div>1974年、抗アレルギー薬のレスタミンを中止したところ、一時的に発熱したというエピソードがある。また、医学的根拠に乏しいものも含め、数々の治療を試していた。</div>
<blockquote>
<div>「体質改善療法として、胎盤埋め込み療法、減感作療法、自身の皮膚を切り取り、冷凍して再び貼りつける療法、毒のある血液を吸い取るという変な療法、これは背中の上部に丸い黒い膏薬のようなものを貼りつけ、毒血を集めて吸い取るというものであった。」（『「暗室」のなかで』）</div>
</blockquote>
<blockquote>
<div>「血管から血を採り、一昼夜冷蔵したその血を、筋肉に注射するという療法を受けた。</div>
<div>　私が効いたとおもう療法は、金コロイドを注射する方法である。ゾルガナール療法といい、インシュリンを併用する。」（「喘息との奇妙な対話」）</div>
</blockquote>
<div><br />
もちろん、このゾルガナール療法も効果は証明されておらず、現在では行われない。</div>
<div></div>
</div>
<div>　1980年代から<strong>アルコール性慢性肝炎</strong>と診断されていた。</div>
<div>　1984年、右<strong>白内障</strong>を発症。同年12月16日に武蔵野日赤病院に入院し、12月18日に眼内レンズ移植術を受けた。</div>
<div>　1986年頃から乾癬に罹患。</div>
<div>　1987年12月13日、武蔵野日赤病院に入院。12月15日に左眼の眼内レンズ移植術を受けた。これらの両目の手術のことは、「目玉」という随筆に詳しく書かれている。</div>
<div>　1990年3月26日、胃カメラで<strong>胃潰瘍</strong>を指摘された。内服治療のみで軽快。</div>
<div>　1990年7月24日、<strong>肝硬変</strong>の疑いで虎の門病院に入院。<br />
　9月3日に肝生検を受け、肝硬変ではなかったと告げられた。9月15日に退院。<br />
　その後も何度か入院を繰り返し、C型肝炎であることが明らかになった。病院でもらった薬（強力ミノファーゲンC）を近医で週3回打ってもらっていた。<br />
　1992年4月28日、虎の門病院に入院。5月25日、血管造影。6月17日、CT検査。この入院時に<strong>肝細胞癌</strong>と診断されたらしい。本人へは「血管腫」と告げ、未告知のまま2年半にわたりPEITを受けた。6月30日、退院。<br />

<div>　1992年11月26日、虎の門病院に入院。12月11日、退院。</div>
　1993年頃からアルブミンの点滴を受けるようになった。</div>
<div>　1993年3月1日、虎の門病院に入院。3月19日、PEITを受けた。3月24日、退院。<br />
　1994年2月6日、虎の門病院に入院。3月15日、退院。</div>
<div>　1994年5月9日、虎の門病院に7回目の入院。これが虎の門病院への最後の入院となった。5月17日、血管造影（おそらくPEIT）を受けたが効果は乏しく、また6月1日に検査担当医からあっさり告知されてしまい、「シビアなことおっしゃいますな」と言った。この時腹水から菌が出て、腹腔内に抗生剤の注射をされたという。</div>
<div>　その後、6月7日、6月16日にPEITを受けたが効果は乏しかったらしく、7月13日、大塚英子に諦めの電話をかけた。<br />
　7月21日に聖路加国際病院に転院し、6日後の7月26日に70歳で死去。<br />
</div>
<ul>
<li><a href="http://amzn.to/2u1D61G" title="" target="_blank">「喘息との奇妙な対話」吉行淳之介、『日本の名随筆28　病』大岡昇平編、作品社、1985年</a></li>
<li><a href="http://amzn.to/2xlI3lm" title="" target="_blank">『目玉』吉行淳之介、新潮文庫、1989年</a></li>
<li><a href="http://amzn.to/2tWNk33" title="" target="_blank">『「暗室」のなかで』大塚英子、河出文庫、1997年&nbsp;</a></li>
<li><a href="http://amzn.to/2tsXwNa" title="" target="_blank">『淳之介さんのこと』宮城まり子、文春文庫、2003年</a></li>
<li><a href="http://amzn.to/2ttroZQ" title="" target="_blank">『淳之介の背中』吉行文枝、港の人、2004年</a></li>
</ul>]]>
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    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E5%90%89%E8%A1%8C%E6%B7%B3%E4%B9%8B%E4%BB%8B</link>
    <pubDate>Sat, 26 Aug 2017 12:10:21 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>中谷宇吉郎（1900～1962）</title>
    <description>
    <![CDATA[物理学者。北海道帝国大学教授。雪の研究で世界的に知られる。<br />
<br />
　1936年4月頃から胃の調子が悪く、ひどく痩せてきた。<br />
　1938年、北大病院に入院。知人の勧めで慶応大学に紹介され、<strong>肝ジストマ（肝吸虫症）</strong>と診断された。当時まだ助手であった武見太郎の治療を受け、1939年春頃には完治した。<br />
<br />
　1960年のグリーンランド渡航から帰ってきた中谷は、異常に痩せ酒も飲めなくなっていた。東大病院で<strong>前立腺癌</strong>と診断され、手術を受けたが既に癌は骨に転移していた。<br />
　1962年3月28日、東大病院に入院。<br />
　4月11日、61歳で死去。<br />
<br />

<ul>
<li><a href="http://amzn.to/2wxzs1g" title="" target="_blank">『中谷宇吉郎』杉山滋郎、ミネルヴァ書房、2015年</a></li>
</ul>]]>
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    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E4%B8%AD%E8%B0%B7%E5%AE%87%E5%90%89%E9%83%8E</link>
    <pubDate>Sat, 26 Aug 2017 12:03:02 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>頭頚部疾患</title>
    <description>
    <![CDATA[<h2>下咽頭癌と闘った人々</h2>
<div><a href="中江兆民" title="" target="_self">中江兆民（1847～1901）</a></div>
<div><a href="澁澤龍彦" title="" target="_self">澁澤龍彦（1928～1987）<br />
<br />
</a></div>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E9%A0%AD%E9%A0%9A%E9%83%A8%E7%96%BE%E6%82%A3</link>
    <pubDate>Sat, 26 Aug 2017 12:01:52 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>男性疾患</title>
    <description>
    <![CDATA[<h2>前立腺癌と闘った人々</h2>
<div><a href="中谷宇吉郎" title="" target="_self">中谷宇吉郎（1900～1962）</a></div>
<div></div>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E7%94%B7%E6%80%A7%E7%96%BE%E6%82%A3</link>
    <pubDate>Sat, 26 Aug 2017 11:51:46 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>眼疾患</title>
    <description>
    <![CDATA[<h2>白内障と闘った人々</h2>
<a href="アービング・ラングミュア" title="" target="_self">アービング・ラングミュア（1881～1957）</a><br />
<a href="吉行淳之介" title="" target="_self">吉行淳之介（1924～1994）</a><br />
<br />

<h2>視神経炎と闘った人々</h2>
<a href="梅棹忠夫" title="" target="_self">梅棹忠夫（1920～2010）<br />
<br />
</a>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E7%9C%BC%E7%96%BE%E6%82%A3</link>
    <pubDate>Sat, 26 Aug 2017 11:31:25 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>循環器疾患</title>
    <description>
    <![CDATA[<h2>急性心筋梗塞と闘った人々</h2>
<div><a href="アービング・ラングミュア" title="" target="_self">アービング・ラングミュア（1881-1957）<br />
<br />
</a></div>
<h2>心臓弁膜症と闘った人々</h2>
<div><a href="橋本龍太郎" title="" target="_self">橋本龍太郎（1937～2006）<br />
<br />
</a></div>
<h2>腹部大動脈瘤と闘った人々</h2>
<div><a href="アルベルト・アインシュタイン" title="" target="_self">アルベルト・アインシュタイン（1879～1955）</a></div>
<div>河野一郎（1898～1965）</div>
<br />

<h2>解離性大動脈瘤と闘った人々</h2>
<div>石原裕次郎（1934～1987）</div>
<div>加藤茶（1943～）</div>]]>
    </description>
    <category>病気</category>
    <link>https://johannes22.blog.shinobi.jp/%E7%97%85%E6%B0%97/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E5%99%A8%E7%96%BE%E6%82%A3</link>
    <pubDate>Wed, 16 Aug 2017 01:55:17 GMT</pubDate>
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