政治家。第82・83代内閣総理大臣。東京都出身。1962年、実父の政治家・橋本龍伍が喉頭癌で死去したのを受け、翌年の総選挙に出馬、初当選を果たし衆議院議員となった。
大蔵大臣在任中の1990年7月、ヒューストンで開かれたサミットの途中で発熱。帰国後、国際医療センターを受診し心臓弁膜症を指摘された。1991年3月1日に手術を受け、4月20日に退院。ヘビースモーカーであったが、心臓手術を機に禁煙した。
1996年、内閣総理大臣に就任。
2006年6月4日、朝までは特に変わったところはなかった。同日夕方、三女の旦子が帰宅した時には、橋本はマッサージチェアの上で昼寝をしているように見えた。同日午後9時前、妻の久美子が外出先から旦子に電話をかけた時、旦子は橋本がマッサージチェアの上で寝ているのではなく嘔吐しながら気を失っていることに気づき、国際医療センターに救急搬送された。救急車内で意識を取り戻した橋本は腹痛を訴えた。6月5日未明より緊急手術。腸の血管は開存していたが、腸は真っ黒に壊死していたという。術後しばらくは集中治療室で小康状態を保っていたが6月26日頃より状態は悪化し、7月1日昼過ぎより血圧が低下、同日68歳で死去。遺体は病理解剖された。
公式な病名は「腸管虚血」とされ、解剖の結果は公表されていないが、腸が広範囲に壊死していたが腸の血管は開存していたという点からは、非閉塞性腸管虚血(NOMI)が疑われる。