ロシア語通訳者・作家。東京都出身。父親が日本共産党幹部であったことから、小学生期をチェコスロバキアで過ごした。ロシア語通訳者・翻訳家となり、ロシア語圏との外交において活躍した。1995年に読売文学賞、1997年に講談社エッセイ賞を受賞。
2003年、卵巣嚢腫と診断された。腹腔鏡下摘出手術を受けたが、摘出したところ癌であることが判明した。追加手術および抗癌剤治療を提案されたが拒否。
2005年に左鼠径リンパ節への転移に気づいた。手術・抗癌剤・放射線治療を避けたいあまり、近藤誠・安保徹などの理論に傾倒して数々の代替医療を試したが、効果がなかったり断られたりを繰り返し、病状は進行した。結局2006年に抗癌剤治療を受けたが、『言葉を育てる』の黒岩幸子氏のあとがきによると4月下旬には寝たきりとなっていたらしい。同年5月25日に56歳で死去。