忍者ブログ

闘病大全

著名人の闘病を通して、いろいろ病気について考えていきたいと思います。

澁澤龍彦(1928~1987)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

澁澤龍彦(1928~1987)

 小説家、仏文学者、評論家。

 幼い頃から喉が弱く、知人の間では特徴的なかすれ声で知られていた。近所の医師の「声帯ポリープ」という誤診から下咽頭癌の発見が遅れたという。1986年9月、慈恵医大病院にて下咽頭癌と診断された。

 1986年9月6日、喉の痛み、咳が激しくなり、慈恵医科大学病院に参り診察を受け、即入院と告げられました。彼は一言「早く来ればよかったね」といって黙ってしまいましたが、その時のショックはどんなだったのでしょう。
(中略)
 澁澤はその数か月前から喉が痛むと鎌倉の耳鼻咽喉科病院に通っておりました。少しも良くならない、と病院を変えたりし、診察の時、彼は「悪性のものではありませんか」と医師に訊ねていました。その都度、心配はないといわれ、安心しているようでした。診察では、ポリープとか咽頭炎などといわれ、それを信じ半年以上も治療に通っていた訳で、その間に癌は進行の速度を旱めて行ったのです。(『澁澤龍彦との日々』澁澤龍子)
 9月8日に入院。同日、気管切開術を受けて声を失った。この気切孔について、後に「穴ノアル肉体ノコト」というエッセイを書いている(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』所収)。
 さらに11月11日、15時間に及ぶ喉頭全摘・永久気管孔造設術を受けた。術後3日目にソセゴンという鎮痛薬を点滴したところ、鮮やかで生々しい幻覚を見たといい、これについては後に「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」というエッセイを書いた(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』所収)。この入院生活のさなかにも『高丘親王航海記』を書き継ぐと共に、次作『玉蟲物語』を構想していた。12月24日退院。
 1987年2月に体調を崩して再入院。3月14日退院。
 4月には首から肩が腫れて回らなくなったが、それでも執筆を続けていた。
 5月2日、再発に伴い再々入院。放射線治療の後に手術が行われるが、癌を動脈からはがせずに断念。
 1987年8月5日午後3時35分、病床で読書中に頚動脈瘤が破裂し、即死した。59歳。

拍手[1回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
Johannes
性別:
非公開

カテゴリー

P R