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闘病大全

著名人の闘病を通して、いろいろ病気について考えていきたいと思います。

フレデリック・ショパン(1810~1849)

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フレデリック・ショパン(1810~1849)

 ポーランド出身の作曲家。1829年にウィーンで開いた演奏会が大好評となった。1830年ウィーンに移住するが、ワルシャワ動乱のため1831年パリに移住。1835年に喀血し、一時は死亡説まで流れたという。結核であり、これは最終的に彼の死因となった。また、1837年に彼がマリア・ヴォジンスカに求婚し一度は婚約したにもかかわらず、後に彼女の母親から婚約を解消されてしまった一因も結核であったとされている。
 1836年にショパンはジョルジュ・サンドを紹介される。マリアとの破談の後、彼は次第にサンドに惹かれてゆき、1838年秋には二人でマジョルカ島へ移住した。秋のマジョルカは雨季で天候が悪く、結核を再発し喀血を繰り返したショパンをサンドは献身的に看護したが、帰路の途上で彼は激しい咳と喀血に何度も見舞われたという。
 その後、一時小康状態となったが、1843年の秋からショパンの健康は再び悪化した。1847年にはサンドの連れ子の結婚問題がもとで二人は決別してしまった。1848年4月、彼は弟子ジェイン・スターリングによりイギリスに招かれ、ジェインの尽力もあって5月15日にはヴィクトリア女王の前で演奏するなど音楽活動は好評であった。しかし、ショパンに想いを寄せていたジェインとその姉キャサリン・アースキンは、その後も彼をあちこちに連れまわして演奏会を催した。このため彼の結核はさらに悪化し、頻繁に喀血するようになった。11月24日にパリに帰っても病状は好転せず、1849年6月22日には大量に喀血をみた。10月17日午前2時頃、39歳で死去。

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