忍者ブログ

闘病大全

著名人の闘病を通して、いろいろ病気について考えていきたいと思います。

中江兆民(1847~1901)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

中江兆民(1847~1901)

 思想家。本名は中江篤介。自由民権運動の中核であった。
 1935年の徳富蘇峰の自伝によると、兆民はおよそ容姿端麗とは言えなかったようである。
この人は顔に痘痕があり、雀斑があり、痩ぎすの小柄にて、何等風采の人を動かすものはなかつたが、その額は案外に広く、その眼は小さかつたが、キラリと光つて居り、その唇は薄かつたが、寧ろ鋭敏なる才気を示して、軽薄を示さなかつた。
 兆民の長女・竹内千美の「父兆民の思い出」(『図書』1965年5月号)によると、兆民は肉が好きで、牛鍋やステーキを好んだという。

 1900年11月、喉に異常を自覚した。12月には喉が腫れあがり、近医で喉頭カタルと診断された。
 1901年4月、喉の痛みが強くなったため大阪の耳鼻科医・堀内の診察を受け、癌と診断された。
 5月26日、堀内医院にて気管切開の手術を受け、声を失った。
 9月2日、『一年有半』を出版。
 9月11日、東京帝大耳鼻咽喉科教授・岡田和一郎の診察を受け、喉頭癌の診断であった。
 12月13日死去。翌日、東京帝国大学病理学教授・山極勝三郎により解剖され、食道癌の診断であった。左梨状窩から食道上部にかけて、9.5×7.0センチの腫瘍が認められた。両肺にも癌が広がっていたという。
 正確な病名については諸説あるが、元大阪府立成人病センター院長の佐藤武男は、現在の病名でいう下咽頭癌ではないかと指摘している(『耳鼻咽喉科・頭頚部外科』60巻1号、1988年1月)。

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
Johannes
性別:
非公開

カテゴリー

P R