フランスの詩人。若い頃から多数のパリの娼婦と関係を持ち、各々の女の特徴をメモに記録していたという。
1863年、梅毒による体の不調に悩み始める。さまざまな民間療法を試みたが、正規の医者にかかることはなかったという。
1864年、ベルギーに転居したが、ボードレールはベルギーが気に入らなかったようである。1866年3月、ブリュッセル南東のナミュールで倒れた。梅毒、アルコールおよびアヘンが原因と見られる進行性の精神症状をきたし、ブリュッセルの病院に収容された。7月初、母に付き添われてパリに転院。
1867年8月31日に死去。46歳。
20歳前後で梅毒に感染したとすると、典型的な梅毒の自然経過と思われる。