歴史学者、東京大学名誉教授。専門は西洋史。
中学生時に肺結核に罹患した。
1973年頃から咳が出て、息切れや発熱を伴うこともあった。9月には法事で山形の郷里へ帰った時、1日だけ高熱が出たという。
1974年9月20日、かかりつけ医・井伏医師が気管支に雑音を認め、レントゲンで右肺に異常陰影を認めた。翌日、東大病院を受診し、24日に入院。10月3日、気管支鏡検査。10月9日、リンパ節摘出。一連の検査の結果、陳旧性肺結核と告げられた。10月19日退院。ちなみに、堀越孝一による『中世の光と影』の解説によれば、堀米はこの入院中ほとんど毎日のように病院を抜け出して人と会っていたという。
その後、井伏医師によりストレプトマイシン投与が行われるが、レントゲン上では改善が見られず、食欲低下や労作時の息切れなども出現した。堀米は治療効果なしと考えてストレプトマイシン投与を断った。
1975年1月1日、異常な呼吸音を自覚した。井伏医師はこれを気管支喘息と診断したが堀米は納得がいかなかったようである。
1月17日から友人に紹介された漢方医の元で、漢方を中心とした自宅療養に入った。しかし呼吸困難は自宅内を歩き回ることも困難なほど悪化し、体重も急速に減少した。
1月26日、多量の血痰と右胸部痛、呼吸困難を自覚。2月3日、井伏医師は以前の肺雑音が聞こえなくなっていると告げ、堀米はこれを漢方治療による改善と考えた(※)。3月には3回にわたり喀血をみた。5月3日、咳、血痰、胸痛が悪化。胸痛については本人は神経痛と考えていた。
1975年12月22日、62歳で死去。最後に厚生年金病院に入院した時、現代医学を信用しなかったとかつての主治医に詫びを言ったという。
※ 喘息や肺癌で気管支が狭くなると、呼吸に伴って肺に雑音が聞こえることがある。もちろん病気が治れば雑音は聞こえなくなるが、病気が悪化して気管支が完全に塞がった場合にも、やはり雑音は聞こえなくなる。この場合は後者であろう。