作家。大酒家で喫煙者であった。若い頃は柔道に打ち込み、食道癌に罹患するまではほとんど病気らしい病気をしたことはなかったという。
1986年、「食べ物がどうも胸につかえる」と言い出した3日後、ふみ夫人に国立がんセンターに連れて行かれ、食道癌と診断された。院長・市川平三郎により告知され、9月末に手術を受けた。術後経過は良好で2ヶ月ほどで退院。以後、1本のタバコも1滴の酒も口にしなかったという。
1988年春、しきりと咳をし始め、検査で肺癌と診断された。食道癌の転移ではなく、原発性の肺癌であった。坂野輝夫医師により放射線療法を受け、肺癌は消失した。午前中の放射線治療が終わると、午後からは病床で『孔子』の執筆を続けていたという。
1990年11月より放射線性肺炎による胸水貯留のため徐々に元気がなくなり、1月22日に高熱を出し入院。肺炎および肺水腫により29日、83歳で死去。