ドイツの詩人。
1824年、ゲッティンゲン大学に入学したハイネは、次第に体の不調を感じるようになった。この頃に梅毒に感染したと推定される。
1832年から体のしびれを訴えるようになり、作曲家のフェルディナント・ヒラーに「私のほほは赤く、左手の2本の指はしびれてしまっている」と書いている。
1843年には両方の瞼がしびれ、目を開けることが難しくなった。
1846年には発声・嚥下・味覚に障害をきたすようになった。 1848年5月、ルーブル美術館訪問を最後に外出が困難となったため、以後はベッドか安楽椅子で過ごすことととなった。しかし精神症状はなかったようで、創作は横になったまま活発に続けられた。この状態は「しとねの墓穴」と呼ばれている。
1856年2月17日死去。一連の症状は、梅毒による脊髄癆と考えられている。
- 『性病の世界史』ビルギット・アダム、瀬野文教訳、草思社文庫、2016年