検事総長・法務事務次官。
1日60~80本吸うヘビー・スモーカーであったが、最初の手術を契機に「吸いたいという気持が全くなくなってしまった」という。
若い頃から乾癬を患っていた。毎年夏になると、主に下着で隠れる部分に湿疹ができるので、「毎晩たんねんに『ソリオン』という黒いタール製剤を塗り、シッカロールをふって、からだを朝鮮飴のようにし、下着を包帯代わりに」していたという。
1987年7月3日、人間ドックを受けた。
7月8日から腹部膨満感、10日から右下腹部の痛みを自覚した。虫垂炎と考え11日に病院を受診し、白血球10100/μLであったが虫垂炎とは断定できず、いったん帰宅。
13日、痛みがひどくなり発熱も認めたため再診。虫垂炎の疑いで手術を受けた。腰椎麻酔で手術を開始したが、手術中に盲腸癌であることが判明、途中で全身麻酔に切り替え主病変を切除するも、術後の病理組織検査で既にリンパ節転移・腹膜播種が見られた。進行癌であるとの告知を受け、7月30日に退院。この最初の手術から死の直前までの闘病を克明に記録し、死後『人は死ねばゴミになる』として出版された。
1987年10月2日、右腹痛を自覚。6日から胃痛と胃膨満感を自覚。
10月7日、腸閉塞の診断で再入院。16日、癌の再発による腸閉塞と告げられた。
11月7日から化学療法を開始。また同日、腹水を800mL除去し、同時に腹腔内抗癌剤投与を受けた。直後、一時的な嘔吐・下痢・高熱を認めた。
腸閉塞に対し11月10日にイレウス管を入れた。これにより外出が困難となった。
11月20日、化学療法1クール目が終了し、ステロイド投与開始。
12月8日から放射線治療を受けた。これまで退院は絶望的とみられていたが、経過が予想外に良かったため、12月18日に小腸-結腸バイパス術および人工肛門造設術を受けた。術後創感染を合併するが、この手術によりイレウス管から解放され、外出が再び可能となった。
1988年1月13日から化学療法を再開。 3月1日退院。しかし体調が思わしくなく、3月11日に再入院。
3月24日、検察庁を退官。
癌による尿管圧迫で腎不全となったため、5月2日に右尿管にチューブを留置。
5月10日より急速に体力が低下し、手記を書くことができなくなった。5月25日、死去。
癌告知が一般的でなかった時代に進行癌との告知を受けながら、その現実を冷静に受け止めつつ、自身の高い社会的地位のために行わなければならない数々の身辺整理を闘病しながら着々と遂げていく様は、実に見事である。